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【店長流】

風化させたいこと、風化させたくないこと 3・11  #店長流
風化させたいこと、風化させたくないこと 3・11  #店長流

■もう13年・・・まだ13年




東日本大震災から今日で13年。

全ての被災者の皆様にお悔やみを申し上げます。


あの日から、もう13年かと思う自分もいれば、まだ13年かと思う自分がいます。

当時、直接被害に遭われた方、間接的に被害に遭われた方。

色々な被災の形がありましたが、今の皆様の心はいかがでしょうか?


私はまだ・・・・正直苦しんでいます。




■未だに動かない原発を見て




私の町には原発があります。

ご存じの方も多いと思いますが、2011年5月当時の政府からの要請で運転を停止した浜岡原発です。


社会がそういう風調だったので、原発の停止はある意味仕方なったことだったかもしれません。

しかし、ある意味名指しで稼働を停止された原発の印象はけっして良い物ではなく、またそこに住んでいる人達へのいわれのない誹謗中傷もひどいものでした。

原発反対と書いたプラカードを持った人達の行進が毎週のように行われえていたことも思い出されます。


当時、まだ幼稚園生だった娘がこんなことを言っていたのを覚えています。


「お父さん、私達はここに住んでいて良いのかな?皆がこの町が悪いって言っているよ?

でもどうしよう、じぃじの家もあるし、OOちゃんの家もあるし、お父さんの会社もあるし・・・皆で引っ越し出来ないのかな?

でも、海も好きだし、ケーキのお店も好きだし、公園も好きだし・・・・ここに住んでいたいな・・・・どうしよう・・・」


もう13年も前の話なので、少し内容は違っているかもしれませんが、こんなことを言われました。


私は、この会話が苦しくて、情けなくて、悔しくて、本当に涙が止まりませんでした。

娘は自分が私を泣かせたと勘違いして、お父さんごめんね、ごめんねってずっと言っていましたが、娘が悪い訳ではありません。

でも、この場所に住んでいて良いよって言えなかった自分の気持ちは未だに忘れられません。


そんな記憶が原発を見ると思い出されます。

あれから13年、何も変わっていないんだなーって・・・・





■風化して欲しいと思うけれど・・・・




そんな記憶がもっと沢山あります。

直接被害に遭われた方々には、なんのその位なんて言われてしまうかもしれませんが、きついことの連続でした。

友人知人の多くは避難するように遠方に引っ越し、昔からなじみのあったお店や施設が毎年のように廃業。

職を失った方々は、遠方に職を求めていき、昼間は若い人達が町から消えます。

また自分事ですが、当時代表を務めていた会社も廃業に追い込まれました。



なので、そんな記憶はどんどん風化して欲しいのですが、風化って中々しないんですね。

毎年この日が近くなると、とても寂しい気持ちになります。

でも、きっと命があるだけましなんです。




■風化させてはいけない



その逆にこの災害の被害は風化させてはいけません。


当時の津波があれだけの被害を与えると分かったのだから、その被害に遭わないように、あったとしても100%耐えられるような、そんな建物や準備が必要です。

今回の能登地震のことも風化させてはいけません。

熊本の災害も、中越の災害も、皆皆です。


私の職業はそれをすることが出来る職業であります。

ですので、今後も風化をさせないように努めていきたいと思います。



最後に。


きっと今日よりは明日、明日より明後日は良い日になります。

力を入れずに頑張っていきましょう!